初心に還つて、しかし…… |  福田恆存

 「もう十年經つてしまつたのか、何もしないうちに」――これが今の私の、そして恐らくは全劇團員の僞らぬ感慨だと思ひます。いや、「何もしないうちに」ならまだしも救ひがありますが、實は色々やつて來た、それにも拘らず、炎天での砂漠に水を撒くのと同樣、すべては、跡形もなく消え去り、殘つたものは「何もしないうちに」というふ呟きのみといふ事になります。
 これは雲・欅だけの嘆きではなく、芝居に携る者なら誰しも同じ氣持を懷いてゐるに違ひありません。芝居は成功しようが失敗しようが、すべて跡形もなく消えて行つてしまふものです。報いられぬからといつて後世に想ひを託する事も出來ない、觀てくれなかつた人がいつかまた觀てくれるといふ事もありえない。この世で、その場その場で勝つたところで、後には何も殘りません。
 もつとも芝居に限らず、人の世の營みはすべて徒勞、人生もまた半月一月で跡形もなく消え去る芝居と何處に變りがありません。たまたま十周年記念連續公演として取り上げた二つのシェイクスピア劇に次の如き名ぜりふがあります。 

 あの役者共はいづれも妖精ばかりだ、そしてもう溶けてしまつたのだ、大氣の中へ、あのたわいの無い幻の織物の何處に違ひがあらう、雲を頂く高い塔、倚羅びやかな宮殿、嚴めしい伽藍、いや、この巨大な地球さへ、もとよりそこに棲まふ在りとあらゆるものがやがては溶けて消えるあの實體の無い見せ物が忽ち色褪せて行つたやうに、後には一片の霞すら殘らぬ、吾等は夢と同じ糸で織られてゐるのだ、ささやかな一生は眠りによつてその輪を閉ぢる……。(『テムペスト』より)

 この世はこの世、ただそれだけのものと見てゐるよ――つまり舞臺だ、誰も彼もそこでは一役演じなければならない、で、ぼくの役は泣き男といふわけさ。(『ヴェニスの商人』より)

 人生が旣に舞臺なら、私共の仕事はその劇中劇、そこで與へられた役が泣き男か泣き女かは知りません、シェイクスピアの口眞似をすれば、それこそお客樣方のお決め下さること、何の役にもせよ、お氣に入りましたら、お手を拜借、そして後五年十年の曲り角を目ざして、もちろん、いづれは大氣の中へ消え去ることは覺悟のうへで妖精よろしく精一杯陽氣に舞ひ續けませう。
 今はただ陰に陽に私共の仕事を見守り、心の支へになつて來て下さつた皆樣方に厚く御禮を申上げるのみ、それにしても過去十年を顧みて、どれだけの御恩返しが出來たか、己が非力を顧みて眞に忸怩たるものがあります。逃げ口上のやうですが、この世には貸方と借方の二役あり、所詮は借方でしかない私共が恩返しなど考へるのは僭越なのかもしれません。どうぞお懲りならず、お見捨てなく、いつまでも御贔屓のほどお願ひ申上げます。