創立二十周年を迎へて | 福田恆存

 どうやら今年で二十年目です。
 その間、いろいろな事件がありました。
 最初の十年間は、萬事好調に過ぎましたものゝ、實はその十周年の頃から事は始つてゐたのであります。十周年記念は昭和四十八年の六月にホテル・オークラで行ひましたが、それは箪笥町に在つた最初の事務所を賣り拂つて、この千石に三百人劇場を建てるため、假事務所にゐたためであります。
 私はその年の七月末から八月に掛けて、海外旅行を致しました。その留守中の懸案として、雲・欅の對立を何とかせねばならぬと考へてゐた私は、歸國すると同時に、雲は芥川比呂志が、欅は私が擔當するという案を立て、その通りに實行致しました。禍根はそこにあると申せませう。というふのは、三百人劇場の杮落としが行はれたのが翌年の昭和四十九年四月、雲の大量脫出はそのまた翌年の昭和五十年八月のことであります。
 二十周年といつても、その後半の約十年間は全く血の滲むやうな苦しみのうちに、役者諸君も研究所や事務局の諸君も懸命になつて働いて來ました。何しろ脫出前の人々の稼ぎを想定して作つた三百人劇場です。それが半減してしまつたのですから、本來なら一時的に芝居を止めてでもと思つたのですが、私共は芝居をやるために集つたのであり、三百人劇場は芝居をやるために造つた劇場であります。虛假の一念といふほかはありません。雲と欅を一體化して劇團「昴=すばる=統る」と名づけ、絕えず二つの稽古場を奪ひ合ふやうにして、今日まで芝居をやつて參りました。
 一方、時代は十年前とは較べものにならぬくらゐ一變しました。書物とは言へぬ書物が漫畫といふ名で多くの人々に讀まれ、芝居とは言ひかねる芝居が前衛劇といふ名で流行し、今日、外見上は正に芝居の黄金時代であります。そこでは、演劇から文學を追放しようといふ運動が盛んでありますが、その追放された文學を私どもは丹念に拾ひ上げ、その重荷を背負ひながら、よろよろと歩いてゐるといふのが現狀であります。幸ひ、昴の諸君も虛假の一念に徹して今日まで懸命に努力して参りました。
 が、芝居は所詮、お客が居なければ成り立ちません。皆樣方こそ、たとへ數は少からうが、私どもにとつては掛け變へのない理解者であることを信じ、創立三十周年には再びこゝでお目にかゝれるであらうことをひそかに念じてをります。
どうぞ最後までお見捨てなく、お附合ひ下さるやる祈つて止みません。