五十年の節目 | 福田逸
劇團雲が文學座から脫退して五十年。當時、この現代演劇協會の設立に關つた人々も今や多くが逝去したか、もしくは隱居状態、現役で活躍してゐる人はほとんどゐない。何もかもが雲散霧消、星屑となり果てたとでも言はうか……が、私の中には、雲の創立から今日に至るまで、さまざまの經験が明確に存在し、今もなほ脳裏を去來する。私にとつて、記憶とは單なる過去のいきさつではない。それら全てが現在の私を形作つてをり、現在の私の中にある。
雲初演の『夏の夜の夢』のロビーの興奮も、それぞれの役者の科白癖や、動きに至るまであれこれ思ひ出す。雲、欅の舞臺には幾つかさういふ印象に殘るものがある。『聖女ジャンヌ・ダーク』『億萬長者夫人』『空騒ぎ』『寺院の殺人』……どれも、舞臺の空氣や「匂ひ」のやうなものが記憶と共に立ち昇る。客席にゐた時の感覺が蘇る。
しかし、ふと思ふ、果たして今まで劇場にお出で頂いた觀客諸兄にも、同じやうに記憶や感覺を辿り、現在の自分との繋がりを保ち續けて頂けるのだらうか、と。私が樣々に記憶してゐることどもも、稽古場や劇場に何度も通へたがゆゑの結果ではないのか――『夏の夜の夢』の舞臺の熱氣、『億萬長者夫人』の壓倒的な諷刺の効いた臺詞が醸しだす笑ひの世界、『空騒ぎ』の愉しげな俳優たちの遊び心、これらの舞臺の譬え片鱗であれ、どれほどの觀客が思ひ出してくれるのだらう。それどころか、これらの舞臺を樂しみ笑ひ感動した觀客が、この五十年の節目に一體どれくらゐ存命でいらつしやるのか。
決してペシミスティックにもニヒリスティックにもなつてゐるのではない。ノスタルジックになつてゐるものでもない。十周年の節目に福田恆存が書いてゐる挨拶文をもう一度お讀み頂きたい。全てはそこに書かれてゐる。演劇という藝術は決して後世には殘らない、如何なる名舞臺も、あるいは下手な役者の稚拙な演技も、幸か不幸か何の痕跡をもこの世に遺しはしない。私の記憶を私が次世代に傳へようにも、なまの舞臺の劇場の空氣を再現することは不可能である。全てはうたかたの夢まぼろしと言ふほかない。生きるといふ事はさういふものだらうと觀じてゐる。
五十年前といふと丁度私が中學から高校へ進學した年であり、また、私が大學院を出て敎職と共に芝居の世界に足を突つ込み始めたのが四十年前のことである。つまるところ私の人生は常にこの協會と共にあつた。劇團活動、海外との演劇交流、劇場運營……自負して然るべきさまざまの事業に携はつて來たつもりだが、日本の演劇界に俳優養成の問題を投げかけたことも、協會の仕事として大きな足跡を殘したのではないかと考へてゐる。
この記念誌をそれらの記錄として遺し、五十周年といふ節目に、現代演劇協會の幕を閉ぢることをお許し頂きたい。長い間、多くの方にご緣と御助力を頂いた。心から感謝の意を表しお別れの言葉に代へる。